楽曲解説(旧作から新作へと解説します)

「鳩のうた」(歌詞)(デモ版一部試聴)
 これは色々な事情によって、引き裂かれた愛の歌。私の幼い日の恋や友情は、親たちの転勤という大人の事情によって引き裂かれたし、私の父は海外出張や単身赴任が多かった。病気で死んでしまった大切な人もいるし、生きていても、なかなか会えない大切な人もいる。そんな人たちに宛てた歌。  メロディは、ちょこっとエルトン・ジョンの「Recover Your Soul」他、色々な曲に似ているかもしれない(全体としては違うものになっていると思うけれども)。この曲は複数のオーディションに出したが、まだ成功を収めてはいない。この曲が入ったデモCDは、柴田淳、Yancy(ブルーノートでドクター・ジョンの前座を務めた人。Crazy Fingersの一人。ニューオーリンズ音楽好き、という以外に共通項はなかったのだけれど、私の演奏を聴いて「最高!」と褒めてくれたので、思わずデモCDを渡したら、聞いてくれるといって受け取ってくれた)、エルトン・ジョンに渡した。

追記:言いたいことが自由に言えない社会、表現の自由や通信の自由が公然とであれ、秘密裏にであれ抑圧される社会になることを憂う意味もある。戦前の日本や独裁体制の国のように。現代日本にも通信傍受法というのがあるが、それも基本的には令状主義をとっており、一定の場合に適法に発せられた令状によるのでなければ、誰であれ、他人の通信を傍受することは基本的にはできないはずである(さらに適法に通信を傍受する場合には通信当事者への通知が必要とされる)。が、現実には(犯罪である)違法な電話盗聴等が行われて問題化したこともある。カルト教団により暗殺された坂本堤弁護士はこの盗聴を問題視していた一人であった。現代ではメールが通信の重要部分を占めておりメールの傍受というのも可能である(現実に同意なしに実行すれば、先の通信傍受法の要件・手続を満たすのでなければ、不正アクセス禁止法違反、電気通信事業法違反などの犯罪になる)。

「道化師の恋文」
柴田淳「サーカスがやってきた〜Piano Solo〜」へのアンサー・ソング(インスト曲だけれども)。同曲と合わせると2台ピアノの曲にもなるように作られている。

「一緒にお茶でも飲まないかい」
これは、好きな人、気になっている人をデートに誘って待ち合わせをする歌。

「シャンプーのうた」
これは、ジョーク、というか、笑ってもらおう、というか、とにかく楽しげな歌を書こう、と思って書いた歌。でも頭がボサボサしてても許せるのは病気の人と親近感を持ってる人だけかな。

「ただいま。」
柴田淳「おかえりなさい。」へのアンサー・ソングとして書いたもの。 歌詞は、ほんのちょこっとだけKiroroの名バラード「長い間」にも似ているかも。私のほうは、「長い間」のように、ウェディング・ソングそのものではないが(「暗い気持ち」とか「おしまい」とかいう文句は結婚式では禁句かも、とも思うし。その部分を省略すれば、ウェディング・ソングとしても使えるかもしれない。)、私の理想の恋愛生活、結婚生活、家庭を描いた、ラヴ・バラード。私は現在実家住まいで今はまず実家に帰るので、場面設定としては必ずしも現実ではない部分もあるが、込めた感情は私の感情そのもの。(なお、マイケル・ブーブレの「HOME」ともテーマは似ているが、マイケル・ブーブレの歌は家に帰る前の心境を歌ったもので、私の歌は、帰った後、どう過ごしたいかを歌った歌なので、場面が異なる。)

「コンパクト・グラマー(COMPACT GLAMOUR)」
(新曲。monstar.fm、My Space公式ストアmonstar shopにて「こんぱくとぐらまー」と改題の上、2009/04/03より発売中!(monstar.fm楽曲のページ。)
ロック・ナンバー。ロックン・ロールです(完成ヴァージョンでは、フォークっぽい雰囲気も出ていると思います)。小柄だけれど魅力的な人への讃歌。今現在好きな人が小柄な女性だったので、こんな歌ができました。Glamourは魅力の意味。
エルトン・ジョン、(ザ・)ビートルズ、ビーチボーイズ、リトル・リチャードはじめニューオーリンズゆかりのピアニスト等々の影響を受けていると思います。
試聴して気に入ってもらえたら、で、購入して、おうちで一緒に歌ったり踊ったりしてもらえたら嬉しいです。
 なお、日本語でグラマーという場合、文法を指す語(grammar)の場合もありますが、英語でも、この二つの語(grammarとglamour)は、元は同じ語源なのだそうです。
 「grammarの起源はギリシア語のtechne grammatike。(中略)このtechne grammatikeがラテン語のars grammatica(書くための技術)になり、やがて技術を意味するarsが取れ、それが古フランス語を経て、14世紀前半ごろ、英語に登場する。(中略)それがどうして『魅力』になったのか。18世紀前半、スコットランドの詩人たちがほとんど使わなくなっていたgramarye(魔術を意味し、grammarの異形)をglamour(魔術)として使い出し、やがてエジンバラ生まれの小説家、詩人のウォルター・スコット(Sir Walter Scott)の作品の影響でよみがえったのだ。(中略)昔の人にとって、書物や文字を読み解くことは、魔術のように魅力的なことだったようだ」(松本道弘「楽しみながら覚える英語雑学事典」より)。
 英語圏の人でも必ずしも誰もがそのような歴史を知っているわけではないと思いますし、私も、もとより、そのような深い歴史を意識して使っているわけではないのですが(笑)、なんとなくカタカナ語として同じ綴りになっているものが、言葉の歴史の上でも実は共通しているというのは、興味深いものがありますね♪
 Compactであるかはともかく、GLAMOURのある人について歌った他アーティストの歌として、The BackslidersというロックバンドのGLAMOUR GIRLという歌があります。彼らの曲も、この曲とはちょっとタイプは違いますが、やはりアップテンポのロックン・ロールで、名曲だと思います(編集CD"Tipitina In Person"参照)。機会があれば、私も、メドレーで演奏したいぐらい。おすすめです。


「Dear doctor」(歌詞。2009/02/18)
恋愛の歌ではない歌。私は現在日常生活・社会生活に支障をきたすほどの重大な病気があるわけではない(と思う)が、それでも、医療機関のお世話にならなくてはならないときもある。正直に言って、病気になったり、病院に行くというのは憂鬱なことだし、私のトラウマの多くは自分の病気や身近な人の病気や死に少なからず関係があると思う。「先生」(doctor)に対して弱っている患者としては言いたいことがうまく言えないこともある。そういう、必ずしも、いつも上手く伝えられてるとは言いがたい思いを歌にしようと思ってできたのがこの歌。なおローリング・ストーンズのとは「同名異曲」です。私の祖父は医師で、おそらくそこそこ尊敬できる医者だったのではないかと思うのだが、他のどんな社会的地位でもそうであるように、同じ医師・医療関係者であっても、本当に尊敬に値する人から、全くそうでない人まで、様々である。患者にとって、たまたま受診する相手が名医なのか藪医者(白衣を着た殺人者、といったほうがいいかもしれない)なのかによって、人生は大きく変わってくる。患者としては医師に本当に感謝できるのは、健康を取り戻せた日であって、なんであっても感謝できるわけではない。良くなるつもりで受診して殺されたり重い障害を負わされたりしたら、たまらない。許すことなど、ありえない。私が直近の家族・遺族だったら仇討ちをするかもしれない。

「お散歩日和」(monstar.fmにて2010/05/14より発売中!
 自分で聴いても童心に帰れる、とっても楽しい歌です♪
 曲のアイディア(後述)自体は以前からあったのですが、ようやく公表・発売にこぎつけました。
 いつもはメッセージ性の強い歌を書きたいと思っているのですが、そうでない純粋に楽しめる歌を書きたいという気持ちもあり、また、私自身カントリーっぽい曲が好きなので、カントリーっぽい、日本語の歌を作りたいと思ってきたのが、こういう形に結実しました。
 一口にカントリーっぽい曲、といってもアップテンポな曲からスローバラードまで色々あるわけですが、ここでは、てくてくお散歩するような感じを出したくて、まず、ストライド・ピアノ(俗に「ブンチャ・スタイル」と呼ばれる、ブンチャ、ブンチャ、とピアノの左手で低音のベースノートと中音域のコードをストライドする=またぐように演奏する奏法。その奏法のオリジネイターはスコット・ジョップリンと解説されることが多いのですが、私はショパンの「蝶々(のエチュード)」あたりが源流だと思っています)で、私が実際に歩くときのようなリズムをつけて、曲を作りました。  製作の過程で思いつきでコーラスをかぶせてみたところ、ゴスペル風になったのですが、とりあえず今回は軽快な感じにしたかったので、さらに別のメロディーをかぶせてみたら、いい感じに遊びモードのポップス・サウンドに仕上がりました。
将来的には、本格的なゴスペル・コーラス隊を前面に出したゴスペル・ヴァージョンやカントリー的な楽器(バンジョー、マンドリン等)を加えたヴァージョンでも歌ったりできたらいいな、と思います。いろんな人と一緒に歌いたいな。。。
(2010年05月18日撮影。今日は一日いいお天気のお散歩日和でした♪)

「いただきます。ごちそうさま。(肉食だろうと草食だろうと)」
(2010/12/06歌詞公開)
 詩としては最近書いたものですが、内容は私が常々感じていることです。「いただきます。」とか「ごちそうさま。」とかというのは日常的な感謝の言葉ですが、何に対する感謝かといえば、何よりもまず、私たちが食べるために摘み取った命への感謝だと思うのです。
 肉食、すなわち、動物を食べる場合には私たちが他の命を食べて自分たちの命をつないでいる、というのは容易に理解されるところですが、草食あるいは菜食といって植物を食べる場合も、私たちとの近親性は薄まるものの、やはり他の生物の命を食べているのです。
 他の命を食べる、ということは、別の面から見れば、殺生をしているということになります。つまり、肉食であれ、草食であれ、私たちは、殺生をしなければ生きていけないのです。
 では、だからといって、無限界に殺生をすることが許されていいか。そうではないだろう、というのがこの歌です。
 私たちが、他の命を摘み取らなければ自分の命をつなげないとしても、そもそも殺生は悲しいことであると思うし、また乱獲すれば、その生物種を絶滅の危機に追いやることにもなりかねず、それは自然界の調和を崩して、結局は人間にとっても不都合をもたらすだろうと思います。そういう意味で、やはり私たちは、他の生き物の命を食べなくては生きてはいけないとしても、過度の殺生をすべきではないと思います。私たちが食べている命に感謝しつつ、採取と保護との調和を考えなくてはならない(もちろん、具体的に採取と保護の調和をどう図るかにあたっては、情緒的な議論だけではあまり意味のある議論にはならないので、その生物種がどのような状況にあるのかという具体的な調査に基づいた冷静な議論をすべきだと思います)。
 まして、人間同士、同じ人間、同じヒトという同じ生物種が殺しあうようなことは避けたい、というのもこの歌にこめた願いです。ここでは、戦争を例に出していますが、大規模な戦争に限ったことではなく、どんな形の犠牲であれ、やはり人間が他の人間の生存を犠牲にするということは、極力避けるべきだと思います。
 これも戦争や殺人のような事例では容易に理解されることですが(しかし、現実には他の人間を踏みにじってでも、自己の生存を強化しようとする人が、往々にして存在するので、戦争や殺人もなくならない)、限界的な事例では難しい判断を迫られることが考えられる場合もあります。たとえば、死刑。人を死刑にするということがどこまで許されるか、は、裁判員制度が始まったこともあり、今後は一般市民をも無関心ではいられなくなるでしょう。他にも、たとえば、救急医療の場合に、救急患者の救命や延命の可能性と、臓器移植をまつ患者の救命可能性とが天秤の両側に来る場合も考えられます。ほかにも、たとえば、再生医療の可能性と、受精卵の破壊の可能性とにどう折り合いをつけるか、という新しい生命倫理の問題も出てきています(ES細胞をめぐる倫理的議論。私は、米国の議論を参考に、ES細胞研究は受精卵の破壊・生命の破壊であって許されないのではないかと考えていたが、受精卵の破壊を伴わないiPS細胞の研究もES細胞研究の基礎が欠かせないという研究者の声もあり、そうなのかもしれない、とも思う。ただ、動物のES細胞研究はともかく、ヒトの場合にも許されるのか、とか、何らの規制なく進められてよいのだろうか、という疑問も依然ないではなく、現時点では、考えが固まってはいない)。

「美しい人」(一部試聴)(2011/01/27)
柴田淳さん、坂本真綾さん、平井堅さんなど、同じテーマ、同じタイトルの歌はいくつかありますが、それらの歌は、その人の歌であって、私が歌いたい歌じゃないと思ったりもします。それで、私だったら、どんな歌になるだろう?と思って作ったのがこの歌です。全部で2分ぐらいの短い歌です。三連符系(トリプレット)の伴奏のスロー・バラードになりました。

「ずっと探しているんだ」(2012/03/19)
My Spaceにて公開中) My Spaceでも書いていますが、歌いだしのメロディからできた歌。

「2008年の幻想」(インストゥルメンタル三部作)(2013/08/24)
・行かなくちゃ。(はやる気持ち)
・うたたね
・「明日東京に行きます。
トップページへ 全て、2008年11月の即興録音です。最初の二つの曲が11月16日、最後の曲が11月24日の録音です。

「ぼくのうた」(a song about myself)(2013/08/26)
 最近よく弾いている曲です。(できたのは少し前です。何ヶ月か前。)弾いていて、これ、私だな、と思ったので(泣き笑いみたいな感じが)、こんな曲名にしてみました。Elton JohnにはYour Songが、Leon Russellにはa song for youが、Keith JarrettにはMy Songがあるように、私には私の歌心がある。それを形にしたのが、このa song about myself、ぼくのうた。(初出から約半年後の映像化に際して、曲名が a song about me に変わっていますが、実質的には同じです。)

「Boogie Woogie "Happy Birthday"」 (Boogie Woogie on "Happy Birthday To You")
ヒル夫妻の有名なハッピーバースデーの歌ですが、曲は少なくとも日本では著作権が切れて公有(パブリックドメイン)になっているということなので、私のブギウギ編曲版を。ダンス音楽として発展してきたブギウギにも色々なスタイルがありますが、このタイプのブギウギは、初期ブギウギブルースピアニストの雄、アルバート・アモンズのスタイルに範を得たものです。アルバート・アモンズはアルフレッド・ライオンが設立したジャズの名門レコード会社ブルーノートの第一号アーティストの一人ですが、その演奏スタイルは、後の多くのジャズやロックのピアニストにも影響を与えました。ピアノでなくとも、ギターやベースでこのタイプのブギウギを演奏する例は数知れず。代表的なところでは、初期ロックンロールの名曲であるジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」や、ロックを世界の音楽の中心に高めたビートルズの名曲「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」がこのタイプのブギウギといえます。